江戸時代まで、日本人は、腕を振って歩くことをしていなかったといわれています。
着物、袴などの着物文化と、草鞋、草履、下駄などの履物の組み合わせで腕を振ると、着物が着くずれてしまうのです。
この組み合わせが、かつての日本人の独特な歩行を生んだものと考えられています。
武士は能の動作のように両手を腰に置き、上体を高く保ち、威厳をもって歩いていました。
また、庶民は懐手で胸と肩を落とし、腕を体の前方にぶら下げるようにし、軽く前傾しながら歩いていたといわれています。
膝と腰を軽く曲げて、へりくだった姿勢をとり、左右の肩を交互に動かす。そして、すり足だったようです。
飛脚、駕籠かきなど走ることを職業とした一部の人々を除く庶民は普段、走るということをしませんでした。
火事など緊急時には、両腕を頭の上に掲げて走ったといわれています。
つまり一般庶民は、走ることに慣れていなかったのです。
明治10年の西南戦争で、西郷隆盛が率いる氏族反乱軍と、庶民からの徴用兵からなる政府軍の戦いが行われました。
庶民からなる徴用兵は、完全武装状態では走ることができず、退却時に多くの犠牲者を出したそうです。
そのため政府は、軍事教練の重要性を痛感し、ドイツ式の行進を取り入れました。
ドイツ陸軍のように脚を高く上げた勇壮な行進を理想としたのです。
膝をより高く上げる歩行方法です。
こうすると誰もが腕と脚を左右交互に振ることができたのです。
そして、より高く膝を上げる「もも高歩行」が、より優れた歩行方法だという意識が形成されたのです。
この歩行は、軍事教練が廃止されたあと、そのまま残り、学校体育の行進練習として国民に指導され続けました。
高校野球の入場行進では、このような歩行技術が採用されています。
このような軍隊での歩き方に対して、改革運動が起きました。
昭和に入って、大谷武一は「正常歩」を提唱。
自然な歩き方こそが正しく美しい歩き方であり、健康にもよいと主張しました。
「もも高歩行」をやめて、より自然な歩き方を提案したのです。
日本人の歩行の歴史は、文化や社会情勢の変化が背景にあります。
江戸時代から現在まで、歩行様式は人々の生活様式や歴史と深く関わっているのです。